― 仕事に追われる中で、親孝行できなかった後悔
平成15年1月、私は久留米支店の渉外マネージャーに就任した。
二日市支店で4年間を過ごし、鳥栖支店で役席となり、田川支店で渉外マネージャーを経験した後の異動だった。
当時の久留米支店は、福岡シティ銀行の中でも本店営業部、小倉支店と並ぶ大型店であり、
福岡県南部を統括する中核店だった。
渉外担当だけでも10名。
それまで経験してきた支店とは、規模も責任もまったく違った。
渉外マネージャーの役割は幅広い。
支店全体の営業戦略を考える。
業績管理を行う。
部下を指導する。
さらに自らも大口取引先を担当し、融資案件をまとめなければならない。
営業にも出る。
稟議書も書く。
部下の相談にも乗る。
今振り返っても、本当に目が回るような毎日だった。
朝から晩まで仕事に追われる。
当時は今のように働き方改革などない時代である。
平日だけでは仕事が終わらない。
休日出勤をしなければ、稟議書の作成が間に合わないことも珍しくなかった。
久留米は私の実家から車で40分ほどの距離だった。
近くにいるにもかかわらず、実家へ帰ることはほとんどなくなっていた。
「今度帰ろう」
「落ち着いたら顔を出そう」
そう思いながら、結局仕事を優先する毎日だった。
そんな年の暮れ、父が入院した。
幸い、当初はそこまで深刻には考えていなかった。
しかし、父の体調は徐々に悪化していった。
私は金曜日の仕事を終えると病院へ向かった。
病室に泊まり込み、父の様子を見ながら、持ち込んだノートパソコンで仕事を続けた。
病院でも仕事。
今思えば、そこまでしなくてもよかったのかもしれない。
しかし当時の私は、仕事を止めるという発想がなかった。
支店の数字。
部下の案件。
お客様への対応。
責任を抱えていた私は、「自分がやらなければ」という思いに支配されていた。
病室のベッドで休む父の横で、私はパソコンに向かっていた。
その光景を思い出すと、今でも胸が痛む。
翌年3月。
父は74歳で亡くなった。
とても優しい父だった。
子どもの頃から、厳しく叱られた記憶はほとんどない。
いつも静かに見守ってくれていた。
銀行に就職する時も、東京から福岡へ戻る時も、何も言わずに応援してくれた。
私が独立する姿を見ることはなかったが、きっと応援してくれたと思う。
父が亡くなった時、私の中に強い後悔が残った。
親孝行らしいことを、何もしていなかったのである。
近くに住んでいたのに、忙しいを理由に会いに行かなかった。
時間はあると思っていた。
また今度があると思っていた。
だが、その「今度」は来なかった。
人はいつか別れの日が来る。
当たり前のことだが、その時の私は身をもって思い知らされた。
一方で、その頃、銀行では大きな変化が進んでいた。
福岡シティ銀行と西日本銀行の合併準備である。
平成16年10月、西日本シティ銀行が誕生することになる。
支店では通常業務に加え、合併準備が進められていた。
システム統合。
組織再編。
人事。
営業方針。
銀行全体が大きく動いていた。
私自身も、仕事、父の介護、そして合併準備と、人生で最も忙しい時期を迎えていた。
父との別れの悲しみを抱えながら迎えた合併が、やがて私自身の人生を大きく変えることになる。
そして、その直後、私を襲うことになる病気によって、人生観そのものが変わることになるのである。
次回予告
第11回 突然の病 ― 人生は思い通りにならない
順風満帆に見えた銀行員人生。
しかし、40歳の私を突然襲った難病。
救急搬送、入院、そして二度の手術――。
人生で初めて、「死」を意識した日々について書いてみたい。